天王寺(Tennōji)

名前: 天王寺
ふりがな: てんのうじ
ローマ字: Tennōji
区分: 寺院
宗派1: 天台宗
宗派2: 
宗派3: 護国山
特徴: 谷中七福神(毘沙門天)。銅像釈迦如来坐像。富くじ興行。日蓮宗感王寺から天台宗に改宗
エリア: 谷中霊園
郵便番号: 1100001
住所: 東京都台東区谷中7-14-8
参考URL: http://www.tendaitokyo.jp/jiinmei/tennoji/

天台宗東京教区 Wikipedia

JR日暮里駅の南口改札口を出て紅葉坂を上り谷中霊園に入ると、最初に目につくお寺が天王寺です。谷中七福神毘沙門天安置。本堂は白い柱が印象的で均整がとれた対称形を成しており、山門や境内の造形とも調和がとれてます。しばし時を忘れて瞑想に耽ることのできる空間。境内にはすぐ目に入る大きな銅像釈迦如来坐像の他にも観音像など、芸術品とも思える格調高い像が安置されています。
ちなみに境内の一角に、台東区観光課が作成した谷中のガイドマップ(日本語、英語、スペイン語、フランス語、イタリア語)が置かれていました。

天王寺本堂 天王寺 銅像釈迦如来坐像 天王寺境内

護国山天王寺
台東区谷中7丁目14番8号
日蓮上人はこの地の住人、'関長輝(SekiNagateru)'の家に泊まった折、自分の像を刻んだ。長輝は草庵を結び、その像を奉安した。伝承による天王寺草創の起源である。一般には、室町時代、応永(1394-1427)頃の創建という。『東京府志料(TokyoFushiryō)』は「天王寺 護国山ト号ス 天台宗比叡山延暦寺末 此寺ハ本(moto)日蓮宗ニテ長輝山感応寺ト号シ応永ノ頃ノ草創ニテ開山ヲ日源トイヘリキ」と記している。東京に現存する寺院で、江戸時代以前、創始の寺院は多くない。天王寺は都内有数の古刹である。江戸時代、ここで”富くじ”興行が開催された。目黒の滝泉寺・湯島天神の富とともに、江戸三富と呼ばれ、有名だった。富くじは現在の宝くじと考えればいい。元禄12年(1699)幕府の命令で、感応寺は天台宗に改宗した。ついで天保4年(1833)、天王寺と改めた。境内の五重塔は、幸田露伴の小説、『五重塔』で知られていた。しかし昭和32年7月6日、惜しくも焼失してしまった。
平成4年11月
台東区教育委員会

銅像釈迦如来坐像(Dōzōshakanyoraizazō)
(台東区有形文化財)
台東区谷中7丁目14番8号 天王寺
本像については、『武江年表(Bukōnenpyō)』元禄3年(1690)の頃に、『五月、谷中感応寺丈六仏建立、願主未詳』とあり、像背面の銘文にも、制作年代は元禄3年、鋳工は神田鍋町に住む太田久右衛門と刻まれている。また、同銘文中には、「日遼」の名が見えるが、これは日蓮宗感応寺(Kannōji)第十五世住持のことで、同寺が天台宗に改宗して天王寺(Tennōji)と寺名を変える直前の、日蓮宗最後の住持である。昭和8年に設置された基壇背面銘文によれば、本像ははじめ旧本堂(五重塔跡北方西側の道路中央付近)右側の地に建てられたという。『江戸名所図会(Edomeishozue)』(天保7年(1836)刊)の天王寺の頃には、本堂に向かって左手に描かれており、これを裏付けている。明治7年の公営谷中墓地開設のため、同墓地西隅に位置することになったが、昭和8年6月修理を加え、天王寺境内の現在地に鉄筋コンクリート製の基壇を新築してその上に移された。さらに昭和13年には、基壇内部に納骨堂を増設し、現在に至る。なお、「丈六仏(Jōrokubutsu)」とは、釈迦の身長に因んで、一丈六尺の高さに作る仏像をいい、坐像の場合はその二分の一の高さ、八尺に作るのが普通である。本像は、明治41年刊『新撰東京名所図会(ShinsenTokyoMeishozue)』に「唐銅丈六釈迦」と記され、東京のシンボリックな存在「天王寺大仏」として親しまれていたことが知られる。平成5年に、台東区有形文化財として、区民文化財台帳に登載された。
平成8年3月
台東区教育委員会

旧町名由来案内
下町まちしるべ
旧 谷中天王寺町(Yanaka Tennōji Machi)
本町は江戸時代には、その大部分が天王寺の寺域であった。天王寺は鎌倉時代後期、日蓮聖人に帰依した土豪関長輝の草創にかかるといわれ、もとは長輝山感応寺と号した。のち元禄11年(1698)、幕府の命によって同寺は日蓮宗から天台宗に改宗、さらに天保4年(1833)には、寺号も護国山天王寺に改称された。明治時代初期、天王寺の広大な境内地は、一部を残して東京府に移管され、共同墓地の谷中霊園となった。本町の起立年代は、谷中各町の中では新しく、明治24年(1891)頃といわれている。谷中霊園、天王寺前町屋および隣接する銀杏横町、芋坂が合併され、谷中天王寺町と命名された。町名はいうまでもなく、天王寺に由来している。昭和42年(1967)の住居表示の実施で全域台東区東区谷中7丁目になった。

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