観音寺(Kannonji)

名前: 観音寺
ふりがな: かんのんじ
ローマ字: Kannonji
区分: 寺院
宗派1: 新義真言宗
宗派2: 
宗派3: 蓮葉山
特徴: 赤穂浪士ゆかりの寺。赤穂浪士供養塔。築地塀
エリア: 朝倉彫塑館前の通り
郵便番号: 1100001
住所: 東京都台東区谷中5-8-28
参考URL: 

 

赤穂浪士と言えば、高輪の泉岳寺が思い浮かびますが、この観音寺も「赤穂浪士ゆかりの寺」として知られています。大きな本堂の右側には赤穂浪士供養塔が建てられています。このためか、散歩の途中、参拝に訪れる人を見かけることもままあります。かつて、「浪士たちがこの寺で会合を重ねた」とのことですが、何ともロマンを掻き立てられますね。境内の左の堀が、築地塀といって谷中の景観の中でもシンボル的な存在となっています。実際、素晴らしい芸術作品といった風で、とても200年以上も前に造られた堀には見えません。この築地塀を通って、裏通りに入ると、そこにも、とても個性的なお寺が散在しています。

観音寺本堂 観音寺築地塀 観音寺築地塀

赤穂浪士ゆかりの寺
台東区谷中5丁目8番28号 観音寺
赤穂浪士の吉良邸討入りは「忠臣蔵」の題材として、広く世に知られている。四十七士に名をつらねる近松勘六行重と奥田貞右衛門行高は、当寺で修業していた文良の兄と弟であった。文良とは、のち当寺第六世となった朝山大和尚のことである。寺伝によれば、文良は浪士らにでき得る限りの便宜をはかり、寺内ではしばしば彼らの会合が開かれたという。明治末の福本日南の著作『元禄快挙録』には、勘六は死にのぞみ「今日の仕儀勘六喜んで身罷ったと、長福寺の文良へお伝え下されたい」と遺言したというエピソードが記されている。当寺はもと長福寺と称し、享保元年(1716)観音寺と改称した。本堂に向かって右側にある宝篋印塔は、四十七士慰霊塔として古くから伝えられ、現在でも霊を弔う人が訪れている。上部に四方仏を表す'種子(shuji)(梵字)'、下部に宝篋印陀羅尼経、宝永4年(1707)3月吉日、長福寺六世朝山の名を刻む。
平成16年3月
台東区教育委員会

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