安立寺(Anryūji)

名前: 安立寺
ふりがな: あんりゅうじ
ローマ字: Anryūji
区分: 寺院
宗派1: 日蓮宗
宗派2: 
宗派3: 常観山
特徴: 下村観山墓。日親上人御真骨
エリア: 三崎坂北側小道を入る
郵便番号: 1100001
住所: 東京都台東区谷中5-3-17
参考URL: http://www.nichiren-shu.net/temple/index.html

観音寺築地塀からも近く、ちょうど興禅寺のはす向かい側に、安立寺があります。何とも味のある山門の石柱に赤字で寺名と宗派が刻印されています。丁寧に整備された境内は緑が多く、正面に大きな屋根の本堂がどっしりと構えています。本堂は朱色の柱にガラスをはめ込んだ明るい灰色の木戸が調和して斬新な造形美を醸し出しています。谷中にある本堂の中でも珍しい色合いのように思います。脇には擁護殿がありますが、こちらはよくある古木と白壁が似合います。お寺のガイドには、下村観山のお墓があることが書かれていますが、ここでも日本美術院創立の話が出てきます。多くの文人や芸術家が谷根千一帯を拠点として活躍していた当時に興味が沸きます。

安立寺本堂 安立寺擁護殿 三崎坂から加納院に至る小道

下村観山墓
台東区谷中5丁目3番17号 安立寺
明治から昭和初期にかけての画家。本名は、晴三郎。明治6年和歌山に生まれる。幼少から絵を好み、14年上京。狩野芳崖、橋本雅邦に師事。ついで東京美術学校(現在、東京芸術大学)に学び、27年卒業、同校助教授となった。31年、岡倉天心の日本美術院創立に参加し、菱田春草、横山大観らと活躍した。その後、教授に復職。また、文部省留学生としてヨーロッパに渡り、38年帰国する。当時、日本美術院は不振の難局にあり、天心がその絵画部を茨城県五浦(北茨城市)に移したとき、観山も大観らと同所に転居した。明治40年第一回文展に「本の間の秋」を出品、好評を得た。45年、五浦を引き上げ、新居を横浜にかまえた。大正2年岡倉天心が没し、翌3年大観らと日本美術院を再興、現代日本美術の発展に寄与した。観山は多くの名作を発表したが、なかでも歴史を題材としたものを得意とし、「弱法師」は代表作である。
昭和5年5月、58歳で没した。
平成10年3月
台東区教育委員会

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